こんにちは、おひとりさまブロガー和泉です!
私は昔から「幸せって何か?」よく考えてきました。
なぜ、考えるのかというと、あまり「幸せ」と感じたことがないからです。
「幸せって何?」、どんなことを幸せというのか?
今日は考えてみたいと思います。
幸せって何か?
さっそく本題ですが、「幸せって何」でしょうか?
- ご飯を食べられることでしょうか?
- お風呂に入ることでしょうか?
- 笑ってテレビを見れることでしょうか?
私は、上記であげたことに関して「あー幸せ」って感じることがありません。
確かに、衣食住が揃って、毎日を過ごせることは幸せなことなんだと思います。
私の友人に、道端に咲く小さな花を見て「可愛い、幸せな気分になる」って言った友人がいました。
それを聞いたとき、私は「そんなことで幸せになれるの?」と思ってしまったのです。
つまり、ご飯を食べて、テレビを見て、花を見て、幸せに思えない私は「そんなこと」っていつもどこかで思ってしまってるんだと思います。
「当たり前の生活」だと思い過ぎているんですよね。
「幸せって何」と考える人は、幸せのハードルが高い
私もそうですが、ご飯を食べる・お風呂に入るなどの日常の生活に幸せを感じることが出来ない人は「幸せのハードルが高い人」だと私は思っています。
たとえば、私の場合の「幸せ」って、「金持ちになること」です。
金持ちになって、沖縄に行って、海眺めながら生活するのが夢です。
それを叶えることが出来たら「幸せ」と思えるかもしれない。
これが達成できないと幸せになれないと思っています。
ご飯を食べる、お風呂に入るは、生きるために必要なことなだけと考えてしまっているのです。
人によっては、「結婚して子供を産むこと」というかもしれません。
それも確かに目標だし、幸せなことだと思います。
それじゃ、その目標に達せなかった場合、そういう人はどう思うのでしょうか?
「幸せじゃない」と思うのではないでしょうか?
私は「幸せじゃない」とまでは言わないけど、「幸せな生活を送っている」とは到底言えないと思っています。
だから、日常のことも「幸せ」という感覚がありません。
ただ、毎日を必死に生きていて、ただ年だけをとっていく。
正直、楽しくありません。
「幸せって何?」って考える人は、自分の人生に疑問を感じているはず
私の場合は、むしろ、生きていても仕方ないと考えることもあります。
おひとりさまだし、結婚してないし、子供もいないし、何のために生きているの?って。
自分のためだけに生きて何になるのかね?とよく思います。誰も得もしませんからね。
そんな中で幸せを見つけろって言われても見つからない。
私が「幸せだ」と共感しないことに、疑問に思われても困るんです。
私のように「幸せのハードルが高い人」って結構たくさんいると思います。
だけど、ヘソをまげても仕方ない
先日、NHKで老人ホームのドキュメンタリー番組が放送されていて、それを見て思ったことなんですが、、、
老人ホームでいつも一人で過ごしているあるご老人が「私は今までずっと一人で生きてきたから。ここが最後。何にも楽しくなんかないわ。」と。
そして、あるご老人は、老人ホームで仲間を作って楽しくワイワイと話ながらご飯を食べていました。
この映像を見たときに思ったのは、
「何にも楽しくないわ」「一人で生きてきたから」とプライド高く生きてきた人・生きている人と、老人ホームが最後の場だとわかっていても仲間と楽しそうにしている人の表情がまったく違うと思ったんです。
「一人で生きてきたわ」ってプライドの高い人には、笑顔が一切なかったんです。
もう何年笑ってないんだろう…捻くれてさえ見えてしまいました。
でも、きっと、本当は寂しいんだと思います。
孫いないし、誰も来てくれないし、いつも一人ぼっちですもん。
私もそうなんです。本当は色々寂しいんです。
人は、誰かに必要とされていたい生き物なはずです。
「幸せって何?」、私のように幸せのハードルが高い人は夢や目標が達成するまでずっと思い続けるはずです。
だけど、笑顔だけはずっと忘れちゃいけないと思いました。